2022年12月13日火曜日

鯨の箸置きもらった。

玄界灘に面した呼子町といえば今でこそ「イカ」と「朝市」が有名だが、そこに江戸時代以降国内有数の捕鯨基地として8代170年間にわたって沿岸捕鯨の鯨組主として巨万の富を築いた鯨組主中尾家屋敷があった。

以前太地町を訪れた時もそうだった(実際呼子の捕鯨は和歌山県から伝わっていた)が、鯨見張り所での鯨の発見から、生死を賭けた捕鯨、解体加工販売と祝宴にいたるまで、往時の漁師達ひとりひとりの生々しい生き様に思いをはせた。

※捕鯨(特に現代における)を全面的に肯定するものではありません。
かっての欧米の捕鯨産業が鯨油を取る目的であったのに対し、ここの捕鯨は、供養塔を建て鯨の全てを捨てる事なく利用したという史実を付記しておきます。


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