庭木に枯れ枝が1本挟まっていて、その先端に辛うじて蝉の抜け殻が残っていた。
空蝉(うつせみ)とは何と空しい言葉だろう。
蝉の抜け殻そのものの意味もあるが、古語の「現人(うつしおみ)」が訛ったものらしく、転じてこの世に生きている人間の世界、現世のことだといい、それが空虚、空(くう)なのである。
セミの一生は「七年七日」とは昔からよく言われるが、地中から出てきても成虫になれる確率は30%程度らしく、それでも毎年大声で鳴き叫び、命を繋いでいるのだ。
空蝉や蝉の死骸を見るにつけ、虚しい現世を想う。
冷えた朝のセンチメンタル…。
余談だが、源氏物語の空蝉の話、光源氏17歳夏の話だって、羨まし。
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