日々是好日
ファーマータナカの今日の禅語「日々是好日」。
数年前のとある夏の終わりの好(よ)き日、風の音が聴きたくて、「如意輪寺(通称蛙寺)」(小郡市)にBIKEを走らせたことがある。
夥しい蛙の置物と風鈴たなびく境内の一角に、この文字を刻んだ石碑もあった。
茶の世界でもよく見かける、有名な禅語のひとつだ。
どんな日でも好日なのか、毎日が良い日となるよう努力すべきか、いやいやそもそも良し悪しの判断から離れて今この時を生きることが好日につながるのか、てな具合に、禅語故に当然一筋縄ではいかない禅問答の世界。
さて、かの禅語を眼にして再び我思うに、現実には何の進歩も進展も無い。
いやそう考える事自体が又、進退・優劣・損得・是非にとらわれた生き方を続けてきた証なのだ。
だからバカボンの親父曰くは、「これでいいのだ。」と…、すなわち「日々是好日」ん!?
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