2025年8月8日金曜日

2025年

気がつけば、人生七十五年、今日は某の誕生日である。

そういえば最近、運転免許更新で認知機能検査を受けて高得点を叩き出してきたばかりである。
「三四半世紀」と言えばいくらか高尚に聞こえるが、要はまぁ、人間ひとり分の時間を、それなりにこなしてきたということだ。

最近、ニュースでは「2025年問題」なるものがにわかに騒がしい。
団塊の世代が一斉に75歳を迎え、高齢者人口が爆増し、医療も介護も財政もパンク寸前だという。
……そう、まさに、私のことである。

まさか自分が「社会問題」になるとは思わなかった。
これまで「問題児」と言われたことはあっても、「2025年問題の当事者です」なんて紹介されるとは夢にも思わなかった。
けれど、よくよく考えてみれば、1950年に生まれたということは、貧乏ながらも戦後復興の熱気を吸って育ち、高度成長を走り、バブルで踊り、そして失われた時代も見届けてきたということだ。

昭和も平成も令和も、やがて無名の年寄りの履歴書言語となり果てるのだろう。

せめて将来のある日、朽ちかかった倉庫から埃まみれの安ワインがひょいと出てきて、試しに飲んでみたら、何だか渋くてえぐかった、くらいの痕跡にならないものか。


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