2018年10月28日日曜日

和船



故郷に戻れば、そこは途端に何の変哲もない日常。

学生時代東京の片隅に住んでいたのだが、70年代初頭という時代背景、貧乏で暇在りだが金無しという個人的事情により、江戸は元より東京のトの字も知らぬまま自堕落な日々を消耗し、やがてその地を去った。

どのみち大したトピックもないので、今回呑んだくれの合間に拾ったゴミ情報をアップしておこう。

ファーマータナカのTOKYO古今東西事情。「和船」

宿の近隣に、川というより水路っぽいものがたくさんあった。徳川家康が江戸を開いた時、交通の便が悪く水路(運河)をたくさん作り交通の便を図ったのだ。横十間川は江戸城から東を見たときに横(南北)に流れる、幅が十間ある川を意味するとのこと。江東区海辺の横十間川親水公園海砂橋際まで、約4km程歩く。和船とは、櫓で進む、杉や檜でできた日本固有の木造船のことで、「和船友の会」(元漁師、船大工、元会社員等で、和船を動態保存してその操船技術を伝承するために創設されたボランティア団体)が、荷足船・網船・伝馬船・猪牙船など和船での非日常の乗船や櫓こぎ体験をさせてくれる。船全体は派手さはないが銅板で化粧され、その錆が江戸の粋を表現している。多分力学的に計算づくの櫓の形が絶妙で、漕いで見ると殆ど力を入れないでも前後に反転してくれる。
暫し江戸の船頭気分を味わいながら、これで両岸に桜でも散っていれば、正しく最高の異空間だったろうが、それは贅沢というものだろう。








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