論語
ファーマータナカの本棚「超訳 論語」。
危機にこそ、人間の真価がわかる。
ビニ本みたいな装丁で、中身が立ち読み出来なかったのも大きい。
だが友人諸氏はもうとっくにお気づきであろう。
易きに流されているだけだという事を。
ただ、惰眠を貪る時間以外は、もう余り残されていないのも事実だ。
せっかく生まれてきたのだから、「世界の名著」位は読破してみたかった。
たったの一行で放り投げた数々の難解な小説を、せめて一冊だけでも、読了してみたかった。
「言葉は儚い。」から始まる序文だけでも圧倒的な説得力だ。
少しだけ抜粋しよう。
「論語」は、古臭い保守的な書物ではなく、衝撃的で前衛的な革命の書だという。
何かを学ぶことは危険な行為であり、なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるからだと。
安直な目論見は大外れだが、学びたいという好奇心が、修練を重ねていると、あるときふと、自分のものになる瞬間が訪れるといい、孔子はそれを、「習う」と言ったのだと、筆者は言う。
一瞬納得しかけたが、己の立ち位置は相変わらず振り回され自分自身を譲り渡している処のようでもある。
二千数百年語り続けられる孔子は凄いと思う。
だが、超訳出来る筆者も凄いと思う。
ついでに、買っただけで安心できる自分のお気楽さも、勿論凄いと思う。
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