2021年4月3日土曜日

XEROX

ファーマータナカの今日の company「 XEROX 」。

その昔、「ゼロックスする」という言葉があったのをご存じだろうか?
コピー専用用紙ではなく、普通の紙にコピーするという意。
今でこそ当たり前のコピーは、かってはカーボン紙で手書きするか、青焼き(ジアゾ式)や感熱紙コピーしかなかった。
そこに登場(1959年)したのが、画期的な乾式普通紙複写機の XEROX だったのである。

富士ゼロックスは一時はいわば子が親を飲み込む、富士フイルムによる XEROX 買収の方向で進んでいたが、紆余曲折あって断念、XEROX から富士ゼロックスの株式を買い取り完全子会社化することで合弁を解消、結果4月1日、「富士フイルムビジネスイノベーション」に社名を変更した。
本家の XEROX も、ペーパーレスの流れの中のコピー枚数減少で、欧米市場で苦戦しており、日本から XEROX の文字は消え、死語となる可能性もある。

富士フイルムビジネスイノベーション、新社名・新体制でのビジネス戦略を発表

実はこの会社、ファーマータナカが新卒で就職した会社である。
1970年代は、既に情報産業の時代と言われていたが、その情報は今のインターネットではなく、紙の文字情報だった。
その情報をいかにクリアに早く伝えるかがテーマの時代だったのだ。

当時 XEROX の保有するゼログラフィ技術の特許により XEROX は乾式普通紙複写機の市場を独占していた。
「モーレツからビューティフルへ」(CM)と、おこぼれに預かろうと就職したのに、特許の独占権の失効時期と重なり、市場は低価格・小型化を武器とするキヤノン・リコー・コニカミノルタ・三田工業などの日本企業に次第に市場を侵食され( XREROX は、リースではなくレンタルでいつでも解約できることをセールストークのひとつにしていた)、高速機や大型機では強みを発揮し続けていたが、第一線では滅多打ちにされ、敢え無く2年でトンズラとなった。
当時の座右の書は、「人は動かず」(D・カーネギー)「販売は断られた時に終わる」(E.G.レターマン)と名を変えていた。

現在も、国内販売台数シェアではキヤノン、リコーに続く第3位の地位に甘んじているが、CV(コピーボリューム=コピー枚数)では高速機市場での強みを活かし、依然として国内シェアはトップである。

OBとしては、逆風の中、合弁解消によりアジア太平洋地域のみにとどまっていた販売圏が欧米まで拡大することによるOEM(相手先ブランド)供給を通じての欧米市場進出、内視鏡やX線画像診断などを展開する親会社富士フイルムの画像処理技術との連携、ネットと融合した総合文書管理ソリューションコンサルティング、個室型シェアオフィス構築等での飛躍に期待したい。





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