羅漢
清水山(331m)を降り、舗装した林道から右脇の山道に逸れて山中を暫し下ると、清水寺の鳥居前に出た。
そのまま清水寺本堂への石段を登らずに右に折れ下ると、その先に「仁王門」があった。
門をくぐると、車道に沿って流れる小さな渓流沿いに、苔むした岩場と「五百羅漢」が現われ、 三途の川を思わせる様な冷気が漂った。
(どうもルートが逆っぽい)
「羅漢」は阿羅漢の略称、案内に「無学」とも呼ばれるとある。
「無学」とは自分等のように「学が無い」の意と思っていたら、小乗仏教においては、修学すでに成り「学ぶ可きものは何も無い」という意だった。
しかし全ての苦から脱し、全ての煩悩を滅し、仏陀と同じ境涯に達した羅漢は、自らの覚りのみが目標で、他人を覚りの方向へ誘導することはしない。
腐阿魔多難禍教狂祖は、はたと迷想する。
我利我利、自利利他、他利利他…、覚りは遥か遠い。
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