パスティーシュ
ファーマータナカの本棚。
「もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら」。
飽くなき向上心。
文豪の才能の真髄を、文体模写の手法で知ったものとする安直さ。
文才の欠如は、棚ぼたの寄せ集めで止揚しよう。
いくつかつまんで挙げておく。
誰の文体かいくつかでもわかるなら、貴方は埋もれた文学少年だ。
・ 親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。腹の減った時はすぐ何か食べたくなる。
・ きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。(中略)完璧な湯切りは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。
・ 熱湯を 集めて流し 湯切りかな
・ わしは、カップ焼きそばを作るには、まず湯を沸かせばよいと思っとる。これは単純なことだ。猿にでもわかる。
・ 僕は灘校に入ったとき、上から8番目の成績だった。でも高等部に入ったとたん、フーテンに目覚めて、お湯に浸した麺がふやけるように成績はみるみる落ちていった。
・ あたし、なんだか、体がウズいちゃって、お腹がすいちゃったんです。
・ カップ焼きそばに現在性があるとすれば、その変性のイメージにある。沸騰したお湯を容器のメルクマークまで注げば、完成後のイメージが、如実感を持って表出してくる。
そういえば昔、清水義範に嵌った時期があった。
0 件のコメント:
コメントを投稿
登録 コメントの投稿 [Atom]
<< ホーム