2021年9月11日土曜日

角打ち

街角ウォッチング。

仕事柄、昼から夜までのシフトがほとんどなので、夕方の時間帯に彷徨く事はほとんど無い。
その事自体はファーマータナカの習性を鑑みるに、健康上においても、すこぶる好都合となっている。

昨日は午前中に会議があったせいで、珍しく夕方に解放された。
こんな日、誰か遊んでくれる奴、デートしてくれるマドモアゼルはいないものか。(もちろんいない)

商店街から、チャリはフラフラと帰路のルートを逸れる。
元々人通りまばらのアーケード街から一本外れると、そこはもう閑散の極致だ。
チャリが2台留まっている。
導かれるままにという描写も出来るし、その嗅覚たるや恐るべしという表現もあるが、知った事ではない。

パーテーションらしきものはチラッと見えたが、明らかに密集密接密閉だ。
今時そもそも人は、缶ビールを買うために、街の酒屋のガラス戸を引くだろうか。
そこに偶然十年来の友人が居合わせていて、立ち話に花を咲かせるだろうか。
柿の種やさきイカをツマミに、わざわざ烏龍茶や炭酸水を飲むだろうか。

文化人類学的には、これらの行為を「角打ち」と呼ぶ。

もとより缶ビールを買いに来た客が、辛抱たまらず店先でプシューッとタブを引っ張る事が、酒類の提供と言えるのか。
一升瓶を下げて帰る恥ずかしさから、コップに一合計り売りしてもらい、お決まりのサービスで溢れる酒を慌てて啜るのが、店内での飲酒行為に当たるのか。

一旦通り過ぎながらわざわざ引き返しての街場の酒屋の店先で、これだけの論考を重ねた挙句飲まずに帰路に着く精神状態を、世間では一般的にストレスという。

ユトリロとヘミングウェイ、太宰治と山田風太郎、中島らもと小田嶋隆、赤塚不二夫とたこ八郎、エリック・クラプトンと高田渡、挙げればキリがないが、才能あるが故に人一倍生と性の苦悩を背負った文豪や芸能人達の生き辛さが、才能故か我が事のようによく解る(気がする)。

コロナ禍は、ジワジワと我が精神を蝕んでいる。


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