2025年12月4日木曜日

生ききる

ファーマータナカの本棚「生ききる ある往診医の看取りアンナイト(著)阿倍 丈太郎」。

知人でFBの友達にもなっている、阿倍というドクターがいる。
私は時たま、FBに長めの駄文を投稿することがあり、何人かの友達から、「無駄に長い。」と速攻お叱りのコメントを貰うことがある。
その彼も、職業柄時々患者がらみの長文のエピソード等を投稿することがあった。
私と違うのは、医者という立場上「生と死」という普遍的テーマを軸に据えているのでカッコいいこと、だがテーマもさることながら、実話に基づくその着眼点、構成や起承転結の鮮やかさ、そして止(とど)めの感動の涙でもって、その長文の投稿を一気読みさせるところであった。
自称物書きの端くれとして、二足の草鞋を履いているような彼に、ただの強面の飲んだくれ医者ではない、ひょっとして只者ではない(ほんとに医者をする暇があるのだろうか?)のではと、ちょっと嫉妬もしたのである。

案の定であった。
その彼が、何と本を出版しやがった、先を越された(かといって私にあとを追いかける力はないけどw)

その彼とはほんの少し共通項もある。
酒(私は嗜むが彼は浴びる)と北海道(移住の経験)とラブラドール・レトリーバー(私は飼ってた愛犬の友達で彼は主人)である。
もちろん彼は、その他に、例えばラグビーとかオートバイとか車とか映画とか音楽とか文学とか、とにかく私と違って引出しが多く奥が深い、よってしたためられた文章が面白くないはずがない。

彼は、在宅医療という特殊な医療現場で、なんと20年で1,000人の看取りに立ち会ったという。
並の神経の持ち主では到底務まらないだろう、タフガイである。

現場での更なる活躍とともに、出版したばっかりだが、続編をも期待するものである。

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2025年12月3日水曜日

出谷右衛門

蕎麦屋探訪「出谷右衛門(でやえもん)」。

看板や暖簾も出ていない、小さな木札だけが目印のビルの通路を入った奥まった場所にあって、入るのに戸惑った。
「蕎麦前」を掲げているだけあって、手打ちの蕎麦に加えて、バリエーション豊かな酒肴が用意されていた。

蕎麦前堪能。
久しぶりに日本酒堪能。
そして蕎麦堪能。

お腹もハートも満たされました。

蕎麦前出谷右衛門@大濠公園


2025年12月2日火曜日

炭酸ハミガキ

今日の歯磨き「ピュオーラ炭酸ハミガキ」。

炭酸が好きである。
ビールはもとより、ハイボール、たまーにコンビニで買うペットボトル飲料は、ウィルキンソン炭酸水である。
ので、買わない手はないだろう。

炭酸泡が勝手にジュワッ!
水に触れると勝手に泡立つ!
炭酸ハミガキ!
すみずみ届いて、すき間まで入り込む!
(〜メーカーキャッチフレーズ)

確かに口の中は泡だらけ。
しかし、コマーシャルや口コミなどにあるような、期待したあのバチバチしたソーダのはじける感覚はない。
やはり高齢で相当感度が鈍っているのだろう。
それに、クリスタルソーダ味って、何だか子どもの時に感じた甘さのような。

実際、ドラッグストアに行くと、夥しい種類の歯磨き粉がピンキリ並んでいて、様々な効能や成分をうたっている。
月一歯のメンテに通っていて、数だけは26本あるようだが、自分の場合はそのわりには、歯医者さんに行くたびに虫歯はもちろんだが、歯石だ歯垢だ歯周病だと呟かれ、劇的な改善はみられていない。

歯って、人によっては真っ白でピカピカでピンクの歯茎で虫歯とは無縁という人もいて、やはり体質とか遺伝とかが関係あるのだろうか。

今度こそ、ピカピカツルツルを期待したい。
(無理だろうけど・・・


2025年12月1日月曜日

光と影

今日の暦「12月1日の月曜日」。

歳を取ると時が過ぎるのが滅法早い。
若さでは負けたとしても、何とか前向きになれないものかと、悪足掻きしてみる。

フランスでは 12月1 日を指して「一年を振り返るには早すぎず、来年を構想するにはちょうどいい」という慣用表現がある。
北半球では一年でいちばん昼が短い時期に入り、古代ケルトではこの時期を「影の成熟(mature shadow)」 と呼んだ。
そして月曜日=Monday は Moon’s day(月の日)で、太陽の曜日である Sunday に続く「月の光の曜日」。
古くは 「静かに再出発する日」 と捉えられていた時期もある。
そして、東洋思想では「月替わり × 週の始まり」 の重なりは、循環が整う縁起が良い日ともされる。

ということで、時間軸の流れの中で、太陽の熱ではなく優しい月の光で始まる一週間のこの日を、人生の本当の光を知る時と捉え、できうれば再建・再挑戦・仕切直しに向く日なのだと考えてみてはどうか。

諦めの悪い年寄りに、せめて空(から)元気を!
(今日は珍しく前向きなのである)


2025年11月30日日曜日

今日の「クリスマス・イルミネーション」。

街は、まばゆい光に満ちている。
けれど、その輝きが届かないところで、
いまも誰かが冷たい風に肩をすぼめている。

それでも人は信じたい。
声にならない優しさが、
世界のどこかで静かに囁き続けているということを。

争いも、孤独も、排斥の痛みも、
ひとつの季節では溶けないけれど、
木々に灯る小さな明かりのように、
人の心もまた、誰かのためにそっと灯り続けられる。

この静かな夜の光が、
見えない誰かの痛みへ向けられた
ひと筋の祈りでありますように。

〜 享楽の世界に身を任せておきながら、願うだけなら、詠むだけなら、誰だって出来るというなかれ。
オッサンだって、少しは考えているのである。

それぞれの一粒の光が、いつか束となって降り注ぎますように・・・

光@大名ガーデンシティ


2025年11月29日土曜日

枯葉

今日の一句「枯葉」。

「ほろほろほろびゆくわたくしの秋」 種田山頭火

良寛を心の師と仰ぐ山頭火は、酒癖が悪く、世渡りが下手で、家族も財産も失い、行乞(鉢を持って家々を回り、施しを受けること)の旅に出た。

良寛が辞世の句、「裏を見せ 表を見せて 散るもみぢ」と、紅葉の散る姿に人生を重ねたように、山頭火は「滅びゆく」自分自身を、秋の景色の中に置いた。

 「裏も表も見せて散る」に通じる、「自分はもうダメになっていく、でもそれもまた自然なことだ」という、諦念と肯定が入り混じった、究極の「ありのまま」。

その無様さカッコ悪さが、カッコいい。

紅葉も出来ず、かといってありのままも晒せない、中途半端な己が、枯葉色の世界の中で余計侘しい。


2025年11月28日金曜日

肴と藁焼き すえのや

飲食店探訪「肴と藁焼き すえのや」。

白を基調とした、清潔感があり、すっきりとした、お洒落で活気ある空間。
ライブキッチンで焼き上げる藁焼きがウリで、他肴メニューも充実。

藁焼きとは、束ねた藁に火をつけ、大きく燃え上がった炎でカツオの表面を炙ることで、カツオのかたい皮が香ばしく焼かれ、風味が豊かになる、カツオのたたきを作る伝統的な調理法の一つ。

それぞれのかってのビジネスや、今までの暮らしや、体やお酒の話等々、話題は尽きない。
中学同級生の愉快な仲間達との時間は、あっという間に過ぎていく。
暇なようで、忙しい。

肴と藁焼き すえのや@大名