曽木の滝
今日の歌碑「柳原白蓮」。
「もののふの むかしがたりを 曽木の滝 水のしぶきに ぬれつつぞ聞く」
〜 柳原白蓮
屋久島ツアーの帰り道、熊本在住のK君が、幅210メートル高さ12メートルの「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる「曽木の滝」(鹿児島県伊佐市)まで案内してくれた。
滝の壮大なスケールはもちろん大感動ものだったが、そこにあった歌碑の句が、漂白の歌人(私です)としては何だか妙に気にかかった。
観光地には必ずと言っていい程歌碑が建っていて、帰ってからその云われや背景を確かめるのも旅の細やかな楽しみである。
「もののふ」とは、漢字で表すと武士または物部と表し、主君あるいは朝廷に仕えて戦う人の意だそう。
案内板にも書かれていたが、歴史的エピソードを聞きながら、この歌を詠んだとある。
<現代語訳>曽木の滝の激しく飛び散るしぶきに身を濡らしながら、私はこの地に伝わる古の武士(もののふ)たちの物語を、滝の轟音の中に聞いている。
一見すると、昔話を聞きながらの風景描写、だが白蓮となると、もっと深いようである。
柳原白蓮ーー明治・大正・昭和を駆け抜けた歌人で、その美貌と波乱万丈な生き様から「大正三美人」の一人に数えられる。大正天皇の従妹という高貴な身分に生まれながら、政略結婚により九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門に嫁ぐ。その後年下の社会運動家・宮崎龍介と恋に落ち、新聞紙上で夫への絶縁状を公開して出奔する「白蓮事件」を引き起こす。後半生長男を太平洋戦争で亡くした悲しみから、平和を訴える活動に心血を注ぐ・・・。
その思想は、個人の自由(特に女性)と情念の肯定、古典和歌の形式を守りながらの伝統との緊張関係にあるようだ。
白蓮は「滝」に「歴史を聞いている」のではなく、「歴史が私として現れている」と詠んでいる。
・・・うーむ、まだまだ修行が足りぬ。
柳原白蓮の歌碑@曽木の滝



