街角ウォッチング。
最後に門松を飾ったのはもう20年位前の旧上津江村にいた頃だった。
街中を物色してみたが、不景気かそれとももう前世紀の異物か、民家はおろか企業にもほとんどなかった。画像は「翠香園ホテル」と「久留米岩田屋」。
昨日もテレビで、日本の寿司や蕎麦や和太鼓の名人が、外国で日本の文化擬きをやっているところに赴いて、正しい文化を伝授するというドッキリ企画番組をやっていたが(面白くするための企画自体にはあまり賛同できないが)、若い頃左程興味を持てなかったこの日本という国の、せせこましくせからしい文化というシロモノの意味を知るにつけ、素直に感心できるようになったのは、単に齢を重ねたという理由だけではないと思えてくる。
ひとつひとつのもの、そして時間と空間が数珠繋ぎのように連綿と繋がっており、そこに確かな感性と細やかな心情を見ることができる。
さて門松だ。
松は一年中葉を落とさない常緑樹であるため、「永遠の命」を意味する。
竹は、とても生長が早く2・3日で身の丈程になり、真っ直ぐ上に伸びることから、生命力を象徴しているとされ、長寿繁栄の象徴ともされている。
梅は寒さに強く、年の中で最も早く花が咲く開花樹で新春を意味し、実を付けることで大変縁起の良いものとされる。
南天は、ナンテン(難転)「難を転ずる」に通じる縁起物として、正月飾りなどに用いられるようになった。
葉牡丹は、花の少ない晩秋から冬にかけて鮮やかな葉の色で楽しませてくれ、幾重にも重なり合う葉が、「吉事を重なる」とされて、古くは江戸時代から楽しまれてきた。
門松の飾り初めは12月13日、門松をお飾りする期間は、いわゆる正月「松の内」の間、本来の「松の内」は1月15日の小正月までとなっている。
門松を処分は、神社で行われる左義長(さぎちょう)と言われる儀式だが、これは別名ドンド焼きなどとも言い、正月に行われる火祭りのことで、田舎暮らしをしていた時、毎年体験していた。
1月14日の夜や1月15日の朝に行われ、縁起物を焼いて、天に帰すと意味と、同時に亡者供養のための火祭でもある。
ということで、しみじみと他人様の門松を眺めた次第である。